敬老の集いに思う

地域の力にはかなわない!

昨日、住んでいる団地の集会所で行われた敬老の集いを手伝いました。今年は自治会の役員で、おまけに行事係(聖ヶ丘は行事が多い)!おかげで、たいへんながら多くのことを学ばせてもらっています。

日頃の活動が災害時の備えに
さて、近所づきあいというのは、顔は知っていても年齢を知らないもので、おいでになる皆さんは、えっ、この人が…という顔だらけでした。ここの自治会は毎年交代の役員が居残る慣わしがあるおかげで(ずいぶん前から会長は代わらない)、たいていの行事は出来上がっているし、住民の把握も恐るべき達成度です(ま、これは賛否両論)。自主防で買った車椅子でのお迎えも手馴れたもので(ちょちょっと空気を入れたりして)、こういうのが災害時に威力を発揮すること間違いなし!

長生きはやっぱり「祝いごと」
今年は沖縄舞踊の皆さんがお祝いの唄と踊りを披露して下さり、秋空の下、お年寄りも近所のお子さん連れも一緒に手拍子する光景は、しみじみと温かいものでした。漬物名人の差し入れや、手編みのレースのコースター(還暦を過ぎた方が全員分を編んで下さった)、手作りのご案内など、どれもこれもが「お元気でいて下さいね」という気持ちがこもっています。長く生きてきた方々を敬う、大変な時代を生きた方々を労うような言葉が、短くも胸に残りました。

地域のコミュニティーが機能しなくなった代償に、私たちは介護、子育て、教育とたくさんの制度をつくってきました。失ったものの重さを改めて思い、人が人を思いやれる心のゆとりを地域が取り戻すことなしに、市長の言う新しい支え合いの仕組みはないと感じます。役所にいて費用対効果を考えるだけでなく、それぞれのニーズに合わせた多様なバックアップで小さなコミュニティーを元気にすることが、結果的には大きな力になると思うのです。