「基本的人権は子供もなんら変わりない」

2008年8月12日 21時11分 | カテゴリー: 活動報告

60年前の子供議会にびっくり!

数日前、上野動物園に象のインディラが贈られたいきさつをTVで観ました。戦争が激しくなった1943年、脱走の恐れがあり危険だとして上野動物園の動物が処分されたのは有名ですが、その後インディラを迎えるに至ったのが、台東区子供議会のおかげとは知りませんでした。子供議会の位置づけや選出方法など詳細は見つかりませんが、区史の一部に記載があるのを台東区の議会事務局が見つけてくれました。

自分たちの手で身近な問題解決を…学習活動としての「子供議会」
戦後の新しい民主主義教育では、国会や地方議会を模倣した討論会や決議を通し、子供たちに自治を学ばせていたようです。台東区には子供議会(小学校5〜6年生から各校一人)と少年議会(中学生)が、1948年から1950年まであったそうです。新しい憲法、新しい教育基本法…焼け跡の残る中、子どもたちに生きる力と民主主義を身につけさせることが、幸せな国づくりにつながると考えたのですね。異議なし!

きっかけは新聞の投書から
新聞の「ぼくのいもうとはぞうをしりません。なんとかして買ってくださいと10円の為替を入れた手紙を上野動物園園長に送った」旨の投書を子供議員が見つけたことから、子供議会は「名古屋動物園から上野に象を借りてこよう」と議決、すぐに正副議長が代表に選ばれました。
ここからは時間に沿って書きますね。ちょっと長いけど、きっとワクワクしますよ。

1949年5月4日 正副議長が夜行列車で名古屋へ(8時間)。

1949年5月5日10時 名古屋市役所にて名古屋市子供議会開催
活発な意見交換の末「東京の友だちにだけ貸せないが、名古屋で独り占めもよくない。可否まとまらず議長一任、散会。

同日午後  東山動物園視察(正副議長、象に乗って大喜び!)
園長にお願い→象自身が高齢、輸送が困難、2頭を引き離せない

6日 名古屋市長訪問、陳情
市長にも断られ、副議長(女の子)泣きだす。「このまま帰れない」
市長がその場で直ちに関係者を集め、象列車運行を決定。
貸すことはできないが見に来てもらおう

6月18日 国鉄名古屋鉄道管理局が準備した象列車第1陣スタート
彦根市から1400人
6月26日 上野駅・日本交通公社・東京日日新聞共催の「エレファント号」で1500人→最終的に秋までに1万数千人が参加

しかし台東区子供議会は、あくまでも「上野に象を!」
5月10日(名古屋陳情から戻ってすぐ)
参議院議長あて陳情書提出「国会議員の力でマッカーサーに頼んで象や珍しい動物を輸入してほしい
参議院議長「たとえ子供にしろ基本的人権は大人となんら変わらない」と受理

5月14日 参議院厚生産業委員会で審議。台東区の正副議長と各区の代表18名が出席、請願趣旨を訴えた。
この頃には、都内全域の小中学生が加わり、プラカードを立てて都庁に押しかけ、安井都知事に陳情を繰り返したというんだからスゴイ!
これを知った都内の貿易商が、近く帰国するからネール首相に伝えたいと都の民生局に申し出た。

都の民生局が都内各校に呼びかけ、ネール首相あてのお願いの作文や絵を描いてもらう。

6月3日 上野動物園にて貿易商への手渡し式→貿易商、絵と手紙を託され帰国

6月20日 ニューデリー発外電「ネール首相、いじらしい童心に打たれ、一頭の像の輸送方法を検討中」(朝日新聞)

7月16日 連合軍総司令部が象の輸入を許可

7月25日 台東区子供議会臨時議会開催
連合軍総司令部、駐日インド代表部、ネール首相宛て感謝文議決

9月23日午後3時 
インディラ(ネール首相の娘の名を命名)芝浦着。

9月25日0時 芝浦出発徒歩
同2時40分(深夜!) 上野動物園到着。一万人が出迎え。

10月1日 インディラ受領式(吉田首相、挨拶で「これがホントの象呈式」)

ネール首相からは「子どもは世界中みんな同じだけど、大人になると戦争したりする。自分の国だけでなく、アジアや世界の平和をつくる大人になって下さい。」というお手紙。イギリスから独立したばかりのインドだからこそ、子どもたちに希望を託したのですね。それにしても、子どもたちを見守り、応援した大人たちの懐の大きさはどうだろう。60年の間に日本の子どもたちが失ったものは、これだったんだなぁ。平和な国や世界をつくりたいなら、もう一度、足元から「教育」を考え直さなくちゃならないと思います。