では、どうやって?・・・茶色の朝

26日夜、永山のベルブホールで劇団「座・多摩」の公演を観ました。昨年の朗読劇でご一緒した皆さんですが、今回のパブロフの「茶色の朝」、小川未明の「野ばら」をもとにした作品は、平和への問いを熱く届けてくれました。

さて先日、数人の市民と議員とで、新任の防災課長に「多摩市国民保護計画」について話をうかがいました。国民保護法に基づくこの計画は、万が一、外国からの武力攻撃や大規模テロが起きた時、市長が多摩市民の生命、財産、基本的人権を守るための計画です。皆さんはご存知ですか。計画では自主防災組織の市民も避難誘導や救援物資配布など担うようですが、たいていの人はただの「災害時」の認識。これまた先日、洞爺湖サミットに向けてのテロ警戒のため(東京は大警戒!)、商店会会長や自治会会長などに警察から協力要請があったそうですが、これもご本人たちは「安全・安心まちづくり」の認識。「補助金もらってるから断れないしね」という声もあり、私の取り越し苦労か知らん?とも思いつつ…。

よく見る、考える、つながる
「茶色の朝」では、茶色の毛のペットしか飼ってはならぬという法律や監視する自警団に少しずつ市民が慣れ、それを安心と感じるようになる様子が描かれています。やがて「以前飼っていた」だけで捕われるようになり、市民は初めて恐ろしさに気付きます。では今の日本はと考えると…。国家を歌うよう積極的に指導しない教師は処分され、「防犯」を錦の御旗に市民が見張り合い、子どもたちを見守っていたはずがテロ警備に組み込まれていく社会、私は薄気味悪いと感じます。先日の公演は、そう感じるのが自分だけでないことを知らせてくれ、また登場する市民はどの段階で何ができたのかという問いを、観た人全員に突きつけた気がします。まずはよく見る、考えることをやめない、つながる…どんなに少なくともここは押さえとこう。スタッフ、キャストの皆さん、今回もお疲れ様でした!

(うちの前の野生の藤。電信柱というのが気に入っています。)