「最低限の暮らし」を下方修正するのか

厚労省は、「生活保護基準は低所得者層の消費支出より高い」との検討会からの報告を受け、早ければ来年度にも保護基準を引き下げるとか。つまりもっとビンボーでないと生活保護を受けられなくなるのですね。民権懇の次号に寄せる、格差社会についての原稿を書いたばかりということもあり、言葉を失いました。

コトはこれに留まらない
生活保護は申請自体を拒否されたり、頼れそうな親族がいる、などの資産があれば全て処分して生活に充てたその後にしか受給資格がないことから、本当は保護の対象に該当する低所得者世帯を100%とすると、受給できている世帯は20%、つまり8割は該当するのに生活保護を受けられずにいる低所得者世帯ということになるそうです。「ワーキングプアーより生活保護の方が得だという風潮がある」と決め付けた馬鹿げた相対論には絶句しますが、心配なのは、この基準をものさしにした様々な負担軽減策が連動してしまうことです。非課税ラインが下がれば、次はそれに連動して保育料、医療費、介護保険料など、今まで軽減されていた負担が発生する層がでてきます。

アエラ12月号に、若者への就労支援「ジョブカフェ」への予算が、水増し請求によって再委託先のリクルート社へ流れていった記事が掲載されました。食い物にされながらいつまで、若い人までもが「最低の暮らし」の話をしなければならないんだろう。国に考えてほしいのは、どっちがビンボーかでなく、「どうしてずっとビンボーなのか」です。

(写真は今朝の乞田川。島田療育園のバザーにと友人がくれた品物を、別の友人の車で運んでもらった帰り道…私は何したんだっけ?)