「そこへ行きたい」は、そこで何かをしたいから。

人の移動を支える仕組みを

「移動サービス」という言葉、もうだいぶ耳慣れてきましたね。先日参加した移動を考える学習会には、視覚障害者のガイドヘルパー(介助者)、車椅子やストレッチャー他、身体障害者の移動サービス、知的障害者(児)の通所、通学の介助あるいは移動サービス…と、さまざまな関係者が集まっていました。様々なハンディで、行きたいところに思うようにいけない人々を、既に多くのNPOや個人が支えているのですね。

移動のハンディと言ったとき、多くの方が車椅子利用者をまず思い浮かべますが、実は知的障害者(児)の移動も考えなければなりません。特に障害児は、通学、在籍校から通級への移動、また学童への移動と、日常的に多くの人の手を必要とします。歩けるしバスに乗れても、急に起こるパニック等を考えると、やはり一人での移動は、親や学校にとっては不安です。朝の登校から夕方の帰宅までにまたがるこれらの移動に付き添うのは、とても、仕事を持つ両親だけでできることではありません。現在は、市内のNPOが支えていますが、利用料も手続きも、親の負担は大変なものでしょう。だからこそ、国も自治体も手を出せないでいるのです。通学、通勤、通院…という、子どもからお年寄りまでの日常的な移動をどう支援するかは、今すぐ取り掛からなければならない重要な課題です。

移動サービスは、必要な公共事業
さて、視点を事業者に移してみると、子どもたちの送迎は時間帯が集中するため、人や車の確保は大変ですし、それにもまして、移動事業は事務所や車の維持費、あらゆる時間帯に対応できる広範な運行者の確保と研修、数台に上る車の駐車場確保…と、まったく儲からないのです。そのために、一向に事業者が増えてこないのが現状です。利用者への支援と同時に、この儲からない移動事業こそ、市は支援策を講じ、「必要な公共事業」と位置づけた上で、改めて市民の力を借りて増やしていくべきかと考えます。

「必要最低限」の先へ!
さて、「そこへ行きたい」…は、行かなければならない場合の他に「行って何かがしたい」という意欲でもありますよね。図書館で学びたい。仲間と集まってサークル活動やボランティア活動をしたい。多摩川で野鳥を見たい。好きな人に会いたい…。
歳をとってもハンディがあっても、意欲を失わずその人がその人らしく生きていける…生活者ネットワークは、このことを最も大切に思います。
人が豊かに暮らすために、ハードの改善や公共交通の充実に加え、移動を手助けする仕組みこそ整え、通院や冠婚葬祭といった必要最低限の移動だけでなく、個々人の社会参加をも支援していきたいものです。